2025.02.14
Re:S REPORT
01
#南三陸町
南三陸町を「Re:Scover」する
「いのちめぐるまち」を、
スローガンで終わらせない


宮城県の北東部にあり、豊かな森と海に抱かれた南三陸町。東日本大震災で大きな被害を受けたこの町では、復興後の新たなステージにおける町の将来像として「森 里 海 ひと いのちめぐるまち 南三陸」を掲げています。「いのちめぐるまち」。スローガンにありがちな、耳障りのいい抽象的な言葉に感じるかもしれません。でもこれは、リアルな実践の積み重ねに基づく、地に足ついた言葉なんです。今回は、そんな南三陸町を再発見していきます。
目次
- 南三陸町を再発見するためのキーワード
- 分水嶺に囲まれた「いのちめぐるまち」
- 生ゴミをエネルギーに循環「バイオマス構想」
- 森と海で、世界初の「国際認証W取得」
- 南三陸で出会った、森・里・海の「めぐらすひと」
- 森のひと・佐藤太一さん
- 里のひと・太田和慶さん
- 海のひと・戸倉SeaBoys
- 「いのちのめぐり」を味わう、めぐりめく夜
- 一夜限りのスペシャルディナー「めぐりめく夜」
- 料理は産地からはじまっている
南三陸町を再発見するためのキーワード
1 分水嶺に囲まれた「いのちめぐるまち」
南三陸町は、宮城県北東部にある小さな町。東側は海に面し、ほか三方は山に囲まれていて、太平洋と接する志津川湾を囲むように23の港があります。
町境が分水嶺とほぼ一致しているのも特徴で、町内に降った雨や雪のほとんどが、森と里を潤し、川を通じて志津川湾へと注がれます。そして、海から吹く風が、森を育てる。つまり森、里、海のつながりの輪のなかに、人々の営みがあるのです。 そんな南三陸町では、2016年、町の将来像を「森 里 海 ひと いのちめぐるまち 南三陸」と定めました。東日本大震災で甚大な被害を受けたからこそ、自然と共生する暮らしをいま一度見つめなおし、持続可能なまちをつくろう、という思いが込められています。
2 生ゴミをエネルギーに循環「バイオマス構想」
南三陸の「めぐるまち」を象徴する施策のひとつが「バイオマス産業都市構想」。その中核となるのが、バイオガス施設「南三陸BIO(ビオ)」です。町内から回収された生ごみや、し尿残渣(余剰汚泥)などの有機系廃棄物を発酵処理し、バイオガスと液体肥料(液肥)を生成。バイオガスは施設内で発電に利用し、液肥は農地に散布して作物の大事な栄養分になります。
この構想は、住民の協力がなければ実現できません。各家庭の生ゴミは、各地域に常設されているバケツで回収していますが、貝やウニ・ホヤの殻、骨、卵の殻など、微生物(メタン菌)が食べられないもの・食べにくいものを分別する必要があります。正直、少し面倒そうだな…と思ってしまうのですが、2019年の調査によると、回収される生ゴミのうち、異物混入率はなんと1%以下だそう。すごい!
参考:https://www.reconstruction.go.jp/jireishuu/list/pdf/R1_12.pdf
復興庁によるバイオガス施設を運営する「アミタ株式会社」の取り組みのレポートより
3 森と海で、世界初の「国際認証W取得」
面積の約77%を山林が占める南三陸町。山に染み込んだ雨や雪解け水は、ミネラル豊富な水となって川を伝い、やがて海へ注いで、豊かな漁場をつくります。
町では、この森と海を持続可能なかたちで未来につなごうと、2015年に町内およそ1,315ヘクタールを対象に「FSC認証(森林管理の国際認証)」を取得。そして、翌2016年には、宮城県漁協志津川支所戸倉出張所のカキ養殖場が、国内初となる「ASC認証(養殖水産物の国際認証)」を取得しました。
FSCとASCが同時に認証された自治体は、南三陸町が世界初! さらに2018年、志津川湾がラムサール条約湿地に登録。そして2023年には、サンオーレそではま海水浴場がブルーフラッグ認証(国際環境認証)を取得しました。
FSC認証:森林の生物多様性を守り、地域社会や先住民族、労働者の権利を守りながら適切に生産された製品を消費者に届けるためのマーク。明確に定められた認証範囲内で適切な管理体制を示した組織に対し与えられる。
ASC認証:ASC(水産養殖管理協議会)による、国際的な漁業認証。環境や地域社会に配慮した養殖業を認証。国内初の認証を取得。品質管理、自然環境への配慮、地域への貢献、適切な労働環境など、認証基準は多岐にわたる。
南三陸で出会った、森・里・海の「めぐらすひと」
1 森のひと・佐藤太一さん

<プロフィール>
(株)佐久 専務取締役。南三陸町出身。山形大学大学院で宇宙放射線物理の研究に取り組んでいたが、東日本大震災を機に、家業である「株式会社佐久」に入社。林業の新しいビジネスモデル構築を目指し、さまざまな活動をしている。
東日本大震災をきっかけに、家業を支えるため南三陸町に戻ってきた佐藤太一さん。父・久一郎さんが社長を務める「佐久」は林業と不動産業を営み、南三陸町内におよそ200箇所、総計約300ヘクタールの山林(杉林)を管理しています。
「昔は、地面に近い部分は全部刈り払い、杉だけにするのが『いい山』とされていましたが、現在は、下層植生を残し、本来の自然山林に近い状態で管理する『潜在自然植生』を行なっています」と佐藤さん。とはいえ、適切な手入れは必要で「間伐しないと地面まで光が届かず、樹木の成長を阻害してしまう。木材の価値が下がるだけでなく、風雪による倒壊や、土砂崩れのリスクも高まります」と話します。町内では、放置され荒れている山林の増加が問題となっていて、その管理を佐久が代行する取り組みも進めているそう。
南三陸における森林の割合は、町の総面積の77%。この町の暮らしは、森と里、そして海の循環するつながりの中で育まれてきました。「自然と共生するまちづくり、そして持続可能な林業経営のためにも、材としての価値だけでなく、生態系サービス(自然の恩恵)も含めた価値をつくっていく必要がある」。佐藤さんはそう考え、持続可能な森林管理のもとで生産された製品に付与される「FSC認証」の取得を検討し始めます。もともと南三陸は良質な杉の産地。その「南三陸杉」をブランド化するうえでも、客観的な証がほしい、という思いもありました。
そして2015年、佐久の管理山林や町有林などおよそ1,315haの山林がFSC認証を取得。また、2017年には「FSC認証材」を98%使用した南三陸町本庁舎や歌津町総合庁舎が落成、今では戸建て住宅などにも使われるなど、FSC認証材の認知度と価値は高まりつつあります。 2024年現在、南三陸町内のFSC認証林は2471haに拡大。全国で4番目の規模になりました。「南三陸の山林総面積は12000ha以上ですから、まだ小さな一歩」と話す佐藤さん。この取り組みが少しずつ拡大していくことで、新しい価値が生まれ、林業の可能性も広がるかもしれない。そのためにできることはまだまだある、と考えています。

良質な杉の産地で、藩政時代から植林が盛んだった南三陸。目が詰まり強度も高いのが特徴。薄いピンクの美しい色みと強さを兼ね備えていることから、「美人杉」とも呼ばれています。

「FSC認証材」をはじめとする地元の資源を生かし、南三陸町の歴史や文化を伝えるものづくりをしている「南三陸yes工房」。南三陸の名産・タコをモチーフにした「オクトパス君」のグッズも制作しています(オクトパス君自体は2009年に誕生)。なかでも置物は「置くとパス(合格)できる」と、縁起物として人気。
2 里のひと・太田和慶さん

<プロフィール>
山形県出身。大学を卒業後、長野県や岩手県で有機農業に従事。2022年に南三陸町の地域おこし協力隊に就任。バイオマス事業に携わる「山藤運輸」に所属し、三陸BIOで製造される液肥や未利用資源を利用した堆肥を使って農作物の生産・ブランド化に取り組む。
2022年夏、太田和慶さんは長年の夢だった循環型農業に取り組むため、地域おこし協力隊制度を利用し南三陸町に移住しました。所属先は、南三陸町を拠点に輸送業を営む「山藤運輸」。そう聞くと「運輸会社で農業?」と意外に思うかもしれません。
南三陸町では「バイオマス産業都市構想」に基づき、町で回収した生ごみやし尿残渣(余剰汚泥)などの有機系廃棄物からバイオガスと液体肥料(液肥)を生成し、利用しています。その余剰汚泥や液肥の運搬を担っているのが山藤運輸。さらには、液肥や未利用資源を利用した農作物のブランド化にも取り組んでいるのです。太田さんは山藤運輸に所属しながら、地域おこし協力隊のミッションとして、地域資源を活用した地域農業の活性化、就農者の受け皿づくりなどに取り組んでいます。
今、栽培している農作物は、南三陸のブランド米として認証されている『めぐりん米(ひとめぼれ)』やセリ、果樹など。化学肥料を使わず、液肥や国産肥料を使うほか、地元漁師さんに譲ってもらった牡蠣殻やわかめ茎もミネラルの補給として使っています。これらの有機肥料を「なんとなく」使うのではなく、根拠のある知見として今後の活動に役立てたいと、自前の土壌分析器を使いデータを集めているとのこと。
「町の人に聞いたのですが、震災前の南三陸町でも、こうした漁業の廃棄物を肥料にして田んぼや畑に使っていたそうです。液肥も、いわば肥溜めの現代版のようなもの。そう考えると、自分は今、南三陸の原風景をもう一度つくろうとしているのかもしれません」と話す太田さん。原風景のその先にある、持続可能な農業のかたちを模索しています。

3 海のひと・戸倉SeaBoys

<プロフィール>
宮城県南三陸町戸倉地区の漁師4人で結成された漁師グループ。地元で愛情を込めて育てた海産物を、多くの方に知っていただきたいという思いで活動している。“楽しく美味しい” 体験を届けるため、交流イベントや漁場体験ツアーなどを開催。
リアス式海岸の南部に位置する南三陸町。三方を陸に囲まれた志津川湾は、波が少なく穏やかなのが特徴。その環境を生かし、1960年代からいかだを使った牡蠣養殖が盛んになりました。戸倉地区でも、生産量を上げようといかだは増え続け、やがて過密状態に。そんな環境で育った牡蠣は身が小さく、品質も良くはありませんでした。
そんななか起こった、東日本大震災。漁場の復旧・復興に際し、戸倉の漁師さんたちは大きな決断をします。それは「全員の漁業権を1度白紙にして、いかだの数を3分の1に減らすこと」。すると、栄養と酸素が十分に行き渡り、2〜3年育てても小さいままだった牡蠣が、1年で収穫できるように。品質も向上し収穫量も増えたのです。
そして2016年には、戸倉の牡蠣の価値を高めるため、そしてこの海の環境を維持していくために、国内初となる養殖水産物の国際認証「ASC認証」を取得します。この漁師たちの先進的な取り組みは、若い世代にも刺激を与えました。
「戸倉SeaBoys」は、戸倉地区の若手漁師4人で結成されたグループ。「楽しく! 美味しく!」をモットーに、戸倉産の海産物のおいしさを生産者の思いや背景とともに伝えたいと、交流イベントや漁場体験ツアーを行なっています。
リーダーの後藤伸弥さんは、東日本大震災後、一時期漁業から離れていました。しかし、牡蠣部会長として漁場の改革やASC取得に取り組む父・清広さんの姿に触発され、漁師に復帰。牡蠣やワカメ、ホヤなどを育てています。高水温やノロウイルスの影響で牡蠣の出荷ができないときも「調子が悪いときがあってもいい。ずっといい環境が続いたら、以前のように欲張って資源を奪ってしまうかもしれないから」と受け止め、「こうした自然環境の変化も、戸倉SeaBoysの活動を通して伝えていきたい」と話します。
また、メンバーの中には「二刀流」で活躍する人も。銀鮭養殖を営む家で生まれそだった佐藤将人さんは「料理人になりたい」という子どもの頃からの夢があり、仙台の調理師学校を卒業後、京都の老舗料亭に就職。腕を磨いて帰郷し、仙台の創作料理店で働き始めました。しかし、ある日ふと「生産者が育てた食材があってこその料理なのに、その手柄を奪ってしまっているのでは」と感じ、「生産者」の視点を持ちたい、と思うようになります。そうして、実家の銀鮭養殖を継いで漁師に。「両方の立場になって、食材へのリスペクトがより高まった。包丁を入れるのも気持ちが違う」と佐藤さん。生産者は料理人に比べ、消費者の声を直接聞く機会が少ないことも実感し「料理を褒められり、感想をいただいたときは、生産者にもフィードバックすることを心がけている」と話します。

震災後、牡蠣の養殖棚は40m間隔で整備。GPSで場所を測定している。以前は位置によってエサとなるプランクトンの量が変わり、成長にも差が出ていたが、間隔を広げたことで均一になり、いかだの場所による不公平もなくなった。
「いのちのめぐり」を味わう、めぐりめく夜
1一夜限りのスペシャルディナー「めぐりめく夜」
南三陸の「いのちのめぐり」を、料理を通して美味しく体験、より深く理解してもらう機会として、一夜限りのスペシャルディナーを企画。2024年12月5日、仙台市のコ・レストラン「KAMOSUBA 醸場」で開催しました。
南三陸の漁師グループ「戸倉SeaBoys」のメンバーでもある佐藤将人さんと、仙台の人気料理店「こうめ」がダッグを組み、限定20食のディナーコースを提供。編集者・藤本智士さんがファシリテーターを務めるトークにも耳を傾けながら「いのちのめぐり」を味わいました。

<フードコーディネート>
佐藤将人さん
銀鮭漁師。「戸倉SeaBoys」メンバー。
京都の老舗料亭、仙台の創作料理店、和食店で長年修業を積み、2020年より家業の銀鮭養殖業を継ぐ。漁師となって食材の奥深さを改めて実感、南三陸の食材の味を活かした繊細な料理で多くの人を魅了している。
佐々木紗矢香さん・佐々木宗治さん(こうめ)
2016年より料理店「こうめ」を経営。
昆布と鰹節からとる一番出汁を使った料理を中心に、信頼する農家から仕入れた食材を使った料理を、生産現場の声とともに提供している。季節ごと、日ごとに変わるメニューを楽しみにするファンも多い。みやぎ食材伝道士。

<クリエイティブディレクター>
藤本智士さん(Re:S)
編集者。雑誌『Re:S』『のんびり』『なんも大学』編集長を歴任。マイボトルという言葉から未来に出来る限り負荷を残さない社会を提案するなど、誌面に捉われない編集を数々実践。
『ニッポンの嵐』『みやぎから、』(佐藤健/神木隆之介)など手がけた書籍多数。

<トークゲスト>
「戸倉SeaBoys」のみなさん

<会場>
KAMOSUBA 醸場
2 料理は産地からはじまっている
会場には「南三陸を持っていきたい」という藤本さんの提案で、漁具や南三陸の間伐材、食材などをディスプレイ。アンダープレートには、佐久の佐藤太一さんに切ってもらった間伐材を使用。さらに葉っぱを席次にして、お客様を迎えます。
当日は、満員御礼での開催。仙台を中心に、県北、隣県、そして大阪など遠くからも。そうして、めぐるめく一夜が始まりました。
提供されたのは、南三陸の海、里の食材を使った8品と、森のめぐみを味わうデザート。食事の最後に料理過程で出たアラやガラを使いスープを提供。さらに生ゴミは南三陸に持ち帰り、バイオガスの原料になります。
イベントのクロージングには、料理を担当した佐藤将人さんが挨拶。
「料理人は、最後の手柄を取る仕事ではありません。料理は産地からはじまっています。だから、私は生産者と並走しておいしい料理をつくっていきたい」
これからも、そういう機会をつくっていきたいと話す佐藤さん。「そのときは、またぜひ食べにきてください!」と締めくくり、参加者から大きな拍手が沸き起こりました。
<メニュー>
いのちのはじまり「スープ・ド・ポワソンの茶碗蒸」
奇跡の海に映る、星 「戸倉っこかきと野菜の海藻ジュレ掛け」
銀色の海、秘める太陽 「銀鮭の生ハム仕立て」
多幸の祈り 「南三陸産真ダコのかぶら蒸し」
めぐる季節の出会い 「青葉地鶏のガランティーヌ」
偶然を必然にする情熱 「戸倉産ムール貝を使った南三陸産せり鍋」
おわりは、はじまり。 「料理過程のアラやガラを使った冷製スープ」
山とつながる 「クロモジプリン 干し柿とクリームチーズ」
※ペアリングは「南三陸ワイナリー」のワインや、南三陸の素材を使ったオリジナルノンアルコールドリンクを提供





大きな自然の手のひらに抱かれているまち
東日本大震災をきっかけに、自然と共生するまちづくりの実現を目指してきた南三陸町。このレポートを通して、「いのちめぐるまち」が見せかけのスローガンではないことが、少しでも伝わったらいいな、と思います。
最後に、震災後に制定されたという南三陸町の「町民憲章」がとてもすてきだったので、ここに紹介したいと思います。
海のように広い心で 魚のようにいきいき泳ごう
山のように豊かな愛で 繭のようにみんなを包もう
空のように澄んだ瞳で 川のように命をつなごう
大きな自然の手のひらに 抱かれている町 南三陸
自然という大きなめぐりのなかに、私たちのいのちも存在している。南三陸が掲げる将来像が世界中に広がっていったら、持続可能な社会を「本気で」実現できるかもしれない、と思いました。